定例集会案内

 

主日礼拝: 毎週日曜日 10時半~

 

教会学校: 毎週日曜日 9時15分~

 

祈 祷  会: 毎週木曜日 10時~

 

 

 

☆教会が初めての方は、

 

まず主日礼拝にご出席ください。

 

お越しをお待ちしております!

 


 

 

教会に行くと、家のお墓を捨てなくてはいけないんじゃないかな・・・

 

 

「キリスト教の教えって、結構いいな」と思う人は、日本人でも実は非常に多くおられます。

 

「もしどれか本当に信じるとしたら、聖書だな」という人も多いのです。

 

しかし、実際上のネックになっている事柄に、「家の宗教」があります。

 

「うちの家は~系の仏教で、~にもうお墓を持っているから、キリスト教には入れません」という方が、大勢おられます。

 

「お墓を守っていかなくてはならないから」とおっしゃるわけです。

 

「教会に行ったら、家の宗教やお墓を捨てなくてはならない」とお考えなのでしょう。

 

もちろん、イエス・キリストを信じれば、仏陀の教えや親鸞の教えは捨てることになります。そうした他宗教の教えではなく、聖書が真理である、とすることになります。信仰の良心においては、イエス・キリストだけが私の主です、と告白します。

 

しかし、内面的な良心においてはそうした他宗教の信仰は捨てても、家の宗教の「習慣」や「制度」の部分まで、捨てる必要はありません。

 

家が仏教、つまり祖父や祖母、両親などが仏教徒で、お墓をすでに建てていて、たとえば長男である自分がそれを見ていかなくてはならない、しかし信仰としてはキリスト教がいい、という場合があるとします。

 

その場合、お墓を見るということは、お寺にお墓の管理料を払ったり、お盆にお墓参りをするということでしょう。そうしたことは、キリスト教信仰を持ちながらでも、まったくして構わないのです。

 

他宗教の習慣的な部分については、内面の信仰の良心が犯されない限り、参加しても問題ありません。お墓の前で祈る場面もあると思いますが、そのときは先祖の人々を尊敬する思いを抱きながら、三位一体の神に家族の平和を祈ればいいのです。

 

また、「家族は仏教だが、自分がキリスト教に入ったら、自分が死んだとき、遺骨はどこに入るのか」といった疑問もあるかと思います。

 

これは、ケースによります。ご本人がなにも言い残しておらず、ご家族が「うちのお墓に入れたい」と仰った場合には、たとえ教会で葬儀をしていても、家のお墓に遺骨を入れることもあります。

 

また、「分骨」をすることもあります。遺骨を分けて、家のお墓と、教会の納骨堂の両方に入れることもあるのです。

 

キリスト教信仰には、「遺骨」への強いこだわりはありません。「遺骨」が「本人」であるとは考えないのです。「本人」の魂はすでに、神の御許に安らっていると信じますし、終わりの日がきて復活するときには、遺骨がどういう状態だろうと、神の力によって永遠の命の肉体に復活するのです。もちろん遺骨を軽んじるわけではありませんが、「遺骨については是が非でもこうするべきだ」というこだわりがありません。

 

家が仏教であって、お墓を守って行かなくてはならなくても、自らの信仰についてはキリスト教である、ということは十分成り立つのです。

 

もちろん、ご家族が「理解」を示して下さらないと、キリスト教信仰に入るのも難しいところがあるかもしれません。ご家族と話し合って、ある程度理解して頂くのは大切なことです。

 

しかし、「キリストへの信仰」は自分の永遠の世界での事柄を決定する厳粛で重大なことなので、最後は自らと神との関係のなかで決断して、洗礼を受けることになります。